釧路で、矢臼別集会に出てきました
2015-11-25


21日に、釧路で開催された「米軍の実弾演習の矢臼別移転訓練に反対する全道集会」に出ました。
 「出ましたと」言うからには、客席で参加しましたのではなく、第1部と称して、「連合北海道の平和運動 核兵器と戦争に反対」という題で、30〜40分話してくれとの要請を受け、久しぶりに大衆(約500人)の前で、話をしました。結構気持ちよかったです。

 話は、
1.日米安保と自衛隊の評価と、連合北海道への収れん (90年前期)
2.矢臼別への米軍移転訓練と沖縄 (90年中期〜)
3.今、平和とは
の3つでした。

1.は、「官民統一(90.02.01)、連合北海道誕生前の労働団体の課題方針は違いが明確でした。」と言うことで、連合北海道がどのようにして、平和運動を統一的に取り組んできたかということをお話ししました。
 一つは、連合の基本目標である「国連中心主義」とも言うべき平和に関する見解です。連合は元々、護憲と非核三原則堅持であることは明確ですので、平和の基調は、「専守防衛」、「シビリアン・コントロール」、「軍縮の方向」が取り組みの指針となります。
 特に北海道は、東西冷戦時に米ソのせめぎ合いの地でもあったのですから、そこにある軍事基地は今や不要といえ、日米両軍の縮小を求めなければならない。
 にもかかわらず、空母インデペンデンスの寄港など、軍事的な緊張は今もって「なくならない」ことで、領土問題の解決や今回のロシアによる流し網規制に影を落とすと考えてきました。
 したがって、
@ 米国をはじめ、核保有国の軍艦・航空機の道内利用に反対
→ 核兵器の持ち込み反対 (非核三原則堅持)
A 核実験反対〜米・仏・中・北朝鮮の核実験、および米国の臨界前核実験に反対
B 自衛隊は「専守防衛」として認めるが、北海道の基地は冷戦終結を受けて縮小すべき。
C 日米安保は、日米関係として、軍事面の縮小と経済的関係強化に向かうべき。
などの考え方によって、様々な取り組みを行ってきました。

2.は「米兵による少女暴行事件(1995)を契機に、沖縄の反基地運動が高揚」ということが契機となって、何とか沈静化しようとする日米政府が作ったSACO(沖縄に関する特別行動委員会95〜96)の報告により、「沖縄の痛みを分かち合う」と言う美しい言葉の説得力は結構きつくありましたが、その線に沿って、沖縄県道104号声実弾演習の国内移転方針となりましたので、北海道ではどう考えるかと言うことです。
 上記@〜Cの整理によれば、「米軍基地の縮小(軍縮)が実現するのであれば、一時的な国内移転も?」という考え方もありましたが、結局「痛みの分かち合い」とは、「痛みの分散」にしか過ぎないことから、軍縮につながらないのであれば、移転訓練に反対するという理屈になります。
 北海道では、連合北海道と北海道農民連盟(酪農への爆音被害)が反対本部を設置し、今まで15回の移転訓練に反対行動をとってきました。関連して、日米地位協定の抜本的見直しも求めてきたことは言うまでもありません。
 北海道の行政も、「受け入れがたい」という姿勢をとり続けています。
 ロシア・サハリン州の知事からも「いかがなものか」という書簡をもらったこともあります。

 そして、政府は「沖縄と同質・同量だから勘弁しろよ」という説明で、地元を説得し、演習場のある別海町をはじめ、「やむなし」にはなったのですが、ふたを開けてみると、なんと、矢臼別では、沖縄の1年分である3千発を2週間で発射し、沖縄では行っていなかった夜間訓練もやるは、白リン弾で小火は出すは、国道272号線を越えて誤射はするはで、やりたい放題です。


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[労働運動]

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